『さようならおんな達』/大島弓子 ~喪失から逃げ続けた先の景色~

白泉社文庫『さようならおんな達』より。
※ネタバレ注意(あとがき漫画もネタバレします)

 

1章「フン、あんたはまだ めざめていないわ」

まんがかきになりたい毬子。
町医者の父と優しい母の娘。
兄は生まれ持って心臓が弱く、内緒で出たマラソン大会で倒れて
還らぬ人となってしまった。

「死んだ兄さんの似顔絵をかいて、
 それにふきだしをつけて
 「おい、毬」ってやってみたら
 まるで兄さんが生き返ってきたみたいでうれしくて
 ひとばん ないたわ」

それから、単純にプロになりたいのでもなく、道楽でもなく「ただかきたい」のだと思う毬。

まんがをかいては徹夜をして母親の前で眠りこけてしまい、父の逆鱗に触れることとなる。
心臓が弱い母に心配をかける毬を、父は許せなかった。
兄を、医者でありながら、助けることができなかったから…
毬のまんがかきを続けるにあたって、「対決」が決まる。

「私も母さんが『好き』
 おたがい好きなものをうばいあう前に
 ひとつルールを決めて、対決しようではないか」

ルールは、

学校の勉強は疎かにしないこと。
1日に5時間以上、眠ること。
その上で、漫画雑誌投稿で第一席を取ること。

第一席を取ることができたら、下宿先を準備して、思う存分に描かせてやろうという父。
素人の投稿で第一席を取ることは、奇跡に等しい確率だと知っていても毬は否定できない。
それは父の

「お母さんに、兄さんの後を追わせてもいいのか」

という言葉が、嘘でも悪ふざけにも思えないからだ。

毬は兄を懐かしんで、父は息子を喪失した恐怖から、
お互いの「好き」を賭けた勝負をする。

前半は、登場人物のほとんどが、心に空いた穴を「誰かで代わり」に埋めようとする。
そんなことは無意味だと分かっていても
心に空いてしまった穴が大きすぎて、埋めなければ耐えられない状態なのだ。
そして誰もが優しくて、不器用すぎた。
誰かを責めてしまえばいいのに。
理不尽に八つ当たりをしてしまえばいいのに。
自分本位に、悲しい寂しいと叫べばいいのに。
誰も、それができなくて、自分1人で空白にどうにか耐えようとしている。

毬のまんがへの情熱は、死んだ兄への想いから。
その「道楽」を阻止せんと必死な父も、死んだ息子への想いから。
喪ったものを埋めるために、家族は対決を行う。

同じ頃、クラスで元委員長の才女・海堂茗から、毬は執拗に執着されていた。
少数の中の優れたリーダーシップを持つ者を探したいと
クラス委員長にされ、ノートやレポート集めに資料集め、
まるでクラスの「灰かぶり姫」となった毬。

やっとの想いで投函した「父との対決」の作品は中庭にエスケープして描いていたのだが、投函後、最後の1ページを中庭に落としいたことに気づく。
担任の先生から、出版社には届けてやるとフォローされ、毬は泣きながらクラスに戻るが
提出すべきレポートも、昼ごはんの注文も、何もかも忘れていた。

茗曰く

「空腹がいかりにはくしゃをかけて
 まるで18世紀のフランス市民のごとく怒りくるっている」

クラスメイトに謝罪した毬の額に、茗は「リンチ」と称し、唐突にキスをする。

そしてこう言い放つ。

「ふん あんたはまだ全然めざめていないわ
 なってない!なんにもわかっちゃいない!!
 ああはずかしい 人間に対するボウトク*1だわ」

「もしあんなもの佳作にでも入ったら…
 わたしはあんたのかいているもの
 有無をいわさずけいべつする」

茗は毬が落とした最後の1ページの原稿を読んでいた。
そして、その感想とも言える一言を毬に投げつける。

 2章「めざめかけても」

毬を執拗に追いかけ、嫌がらせでしかない形で、彼女にまとわりつく茗。
茗は才女でリーダーで、クラスメイトあこがれの「茗殿」であるが、
茗も、毬と、毬の父と同じように亡くしたものの「代わり」を探し続けている女の子。

毬の兄に初恋をしていた。
「モロ恋愛感情」で。
しかしスポーツが好きと言う彼に想いを伝えられず、
あのマラソン大会も倒れる姿まで、ずっと見つめ続けていた。

毬は、兄のように妻を失いたくない父と
初恋を亡くし、毬に投影する女の子、
これらすべてに巻き込まれながら、まんがの中に兄を求めた。

お父さんも毬も、クラスメイトの憧れ「茗殿」も、
喪失した悲しみを一人で抱え込みすぎてしまって
人を見つめることができない。

父は、娘を見つめられなかった。
毬は、兄の幻想以外、見ることをしなかった。
茗は、現実を見つめられず、毬に執着した。

しかし茗だけは、
自分自身が、喪失を無理にでも毬で埋めようとしているとを自覚して
転校を決意する。
毬の近くでは、もういない初恋の影を追ってしまう自分を振り切るため。

毬は、茗から兄への初恋、その「モロ恋愛感情だった」という告白で、「けいべつする」の真意を知る。

自分のラスト1ページを思い出して、茗の気持ちには気付かなかった自分が
逃げるように描いた理想の淡い恋は、恋の味を知った人には届かないと知る。

茗は、ここで自分の「逃げ場」を自ら切り落として進んでいく。

3章「修羅場」

ここから茗と正反対に、毬は、「逃げる場所」を追い求めて暴走する。
まんがの勝負は当然、敗れた。

まんがかきの逃げ場を喪った毬は、
担任の先生の「数学のロマン」に片思いモドキと失恋モドキをして、
父から聞いた、万一の際にはお嫁に貰ってくれるという
(父親同士の、夢を語った過去の会話で)
父親の友人の医者の息子「深瀬の次男坊」をこっそりのぞきに行く。

全部、今の自分から逃げるために。
本人も充分自覚していても、毬の父はまだ娘に向き合う勇気がない。
更に喪う恐怖から、逃れることができない。

次男坊の実家、深瀬の医院は産婦人科
挙動不審に周りをうろついた毬は、次男坊に妊娠した女学生と勘違いされ、産みます!と嘘をつく。

まんがかきになりたいだ、初恋だ、ボーイフレンドだ、少女漫画の可愛らしい描写と
少女漫画ならではの「非現実的な設定と事態」で、非常に騒々しい。

でも、
この章での毬の行動は、ひたすら逃げ場を求めて、誰かに決めて欲しくて
自分の世界からも、人の想いからも、逃げ続ける章だと思っている。
同じように、毬の父親も、現実から逃げまくっている。

恋愛や初恋や、情のもつれた「修羅場」ではなくて、彼女が彼女から逃げ出した、
父親が、自分の家族から逃げ出した

「自分 vs 自分」の修羅場。

双方が逃げて逃げて、勝手に修羅場を作って、自分から修羅の道を進んでしまう。
楽になりたいのに、楽な道だと思い込んでいるのに
進めば進むほど、がんじがらめになって追い詰められる修羅場。

逃げ続ける毬は、次男坊の家の近くで有名なまんがかきのアシスタントを徹夜でこなし、道端で倒れた。
毬を助けたのは、先日「産みます」と大嘘をついた深瀬の次男坊。
深瀬の父は毬に気づくが、そこに毬の家から連絡が入る。

毬の母が、心臓発作を起こして倒れたと。

「だめかもしれん。
 強い発作が来たら命とりだ…」

深瀬のおじさんは、「大丈夫」だと呪文のように唱え、
毬を自宅まで車で送る。
眠ったまま次男坊に抱えられて車に乗った毬に聞こてくる、次男坊の心音は力強いものだった。

「あたしの心臓はちっとも進歩的じゃない

 動いているけどちっとも進歩的じゃない」

4章「めざめたときは」

逃げ続ける毬の目の前にぶつけられた現実は、母の死。
毬がやっと我に返ったときには、

一番優しくて
いつもそばで微笑んでくれた母を、
彼女自身が帰ってこれる場所を亡くした。

ここで、毬は一度、帰る場所を喪った。
学園祭で盛り上がるふりをしてみても、許しを請うても無言の父に
苦しんで、謝って、償おうと必死に生きる。
毬が初めて、誰かの想いに向き合った時なのだと思う。

家族を2人も、医者であるのに殺したと自分を責める、崩壊寸前の父。

毬は、ずっと気がついていたんだろう
父親が擦り切れそうなこと、父親が壊れそうなこと…
自分だって同じように喪失した苦しみを持っているはずなのに、
優しすぎて、壊れそうな父に寄り添い続けてしまった。

毬は自分だけを責める。
母親を殺したのは自分だ、父を壊してしまうのも、自分だと。
そして「生きるも死ぬも」、決めようと、文化祭の慌ただしさの中、こっそりと家出をした。
誰もいない海で叫び、警察官に保護される。

警察から連絡を受け迎えにきた父が、やっと気づく。
目の前の娘が、自分の想いまで、まるごと抱え込んでいたことに。
それでも自殺したんじゃなくて、答えを探そうと、許しを請おうと、
1人で歩もうとしていることに。

誰もいない海で、もう応えてくれない母に叫ぶ。

「おかあさーん」
「かあさーん」
「ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい」
「わたしを許せ。現代の医学を超えられなかったわたしが、おまえを死なしたんだ。
 おまえがいつまでも許してくれないと
 わたしは小さくなり、娘まで奪われてしまいそうなんだ」

息子を亡くし、娘の夢に向き合えず、娘を見られなくなった父の本音。
妻が死んだ後、娘と食卓を囲むこともできなかった父親の懺悔。
「ただかきたい」自分から、兄に本気で恋した同級生の想いから、全てから逃げ続けた女の子が
生きるも死ぬも、受け入れるため、誰にも聞こえない海にむかって
大声で叫ぶ。

許して。ごめんね。助けて。

ストーリー中で2人の家族を実際に亡くすのに
残酷さとか悲壮感がないのは、大島弓子特有のファンタジックな味とか
騒々しい展開で、非現実的になっているせいだと思う。

その後、次男坊と毬は再会し、次男坊からこう伝えられる。

「いつだっていいんだ 走りたいって思ったとき
 連絡くれないかな。一緒に走りたいんだ」

次男坊にだって悩みはあって、実は逃げ出すために走った毬だけど
その走る姿は、力強いものに見えていた。

人は、逃げ出せることのありがたさが分からない。
帰る家があれば、なんだってできる。
帰る場所があるから、逃げることもできる。
当たり前に帰る場所があって、当たり前すぎて、
毬と父は、喪失から逃げて、帰る場所の暖かさを忘れ、それさえ失って
2人で現実に向き合った。

毬が最後に、「思いっきり走りたい」と次男坊を誘おうとするところでこの物語は終わる。

さようなら女達 (白泉社文庫)

誰かの死でなくても、人が生きていたら
心に穴が空くことはたくさんある。
その穴は、誰かが勝手に、何かが勝手に代わりになってくれたらとても楽だ。
けれど、めったにそんなことはなくて、自分で何かを決めないといけない。

代わりのパーツを探すのか、穴を埋める何かを作るのか、いっそ穴は塞がずにおくか…

せめて自分で選ぶ覚悟をしなければ、「めざめたときに」は、遅い。
大切なものを喪う恐怖で、目を背けたら、許してもらうことさえ間に合わなくなる。
優しすぎた毬は暴走した。
目を背けた父は、生きている妻に許しを請えなかった。

生臭いほど血の味がする作品だなと思った。

けれど、この文庫のあとがき漫画で、大島弓子本人が愛猫サバを喪失した直後に
この『さようなら女達』の文庫化の話を白泉社の編集担当としたエピソードが載っている。

「わたし本当は、こんにちは女達のほうがかきたかったんだわ」

そう書いてあった。

「こんにちは」、辛い時はこの一言をつぶやくことにしている。

*1:

冒瀆(ぼうとく、冒涜とも書く)は、崇高なものや神聖なもの、または大切なものを、貶める行為、または発言をいう。 価値観が異なる人からすると冒涜の基準が異なるため、ある行為や発言を冒涜と感じるかどうかは各個人によるものである。 通常、性的な意味で戒律など神の教えに背く、または社会のルールを破る場合は背徳といい、区別されている。
冒涜 - Wikipedia