『山羊の羊の駱駝の』/大島弓子 ~透明人間として生きる君へ~

 

白泉社文庫『ロングロングケーキ』より。
※ネタバレ注意

この作品を読み終わった瞬間、私の頭には
誰かに微笑んでほしい寂しさで、ホストにハマって、自分を売る女の子が浮かんだ。
少女漫画で、書きますか?!とさえ思った。

11月の末、今月分のお小遣いをはたいて映画のはしごをした雪子。
映画をはしごしても満足感は得れず、街に立つ天使の格好をした男に興味を持つ。
それは「アフリカの恵まれない子どもたちへの寄付」を集めている、
どこの誰かも分からない男性だった。
映画でお小遣いを使いきってしまったが、帰りの電車賃は持っている。
試しに募金してみたら、その募金は

りんごん りんごん

と、素敵な音を立てて、募金箱に吸い込まれていった。

「ありがとう」
「その笑顔は天使様だった。お金を入れる音は、天の鐘の音だった。」

しかし門限を破ったことで、
過去はピアノの練習室であった防音室で父親からの説教を受ける。
その防音室について、雪子はこう説明する。

「わたしがこの部屋を最後に使ったのは
 十年前のことです。
 近所の子供が、つばいであったうちの犬を
 いじめて、噛まれてけがをしたときです。
 その日、学校から帰ると
 犬がいなくなっていました。
 父が保健所に連れて行き、薬殺したのです。
 それが父の体裁でした。」

「あたしは音楽室で
 犬の鳴く一生分を 泣きました。
 それ以来、あたしは泣いていません」

 彼女の父は、教育評論家の次期市長候補。

それまでも、教育評論家としての地位を守ってきた人間。

教育評論家で、次期市長候補ナンバーワンの父にとって
雪子は、自分の体裁に必要な
1つのアイテムに過ぎなかった。

防音室で一生分の泣いてから、
家の中で、透明人間として過ごしていたのだろう。

透明人間だって、人間だから
大切なものがあって、愛するものがあった。
父の体裁の1アイテムとして育った雪子にとって
「ありがとう」、そう言ってもらえたことは、何より大きな喜びだったのだろう。

生まれて初めて、誰かに認められた瞬間だったんだろう。
素直にありがとうと、初めて言われたのだろう。
幼いころ、
透明人間として、ときにピエロとして、
ときに嫌われ者になって、ときに優等生として生きてきた人は、
愛されることに慣れていない。
渇望しているのに
相手から向けられる、真っ直ぐで好意的な感情になれていない。
そして、その好意や真っ直ぐな想いは、対価を支払わえば得られないものだと思っている。

だから、雪子は、自分に向けられた天使様の笑顔が忘れられなかった。
店の鐘の音がする募金が耳から離れない。

雪子は雑誌のモデル(という名の週刊誌のヌード写真)に
応じて、10万円という大金を手にする。
何度も、あの鐘の音が聞きたいと
500円玉に両替して、募金で鐘を打ち鳴らしつづける雪子。

「最後の500円の荘厳な音」

それから、雪子は募金のできないときは
遠くから天使様を眺めるようになった。
それだけの募金(500円玉200枚)をした雪子のことを、天使様も覚えていて
手を降ってくれた。
それがうれしくて、彼女はずっと手を振り返した。

その矢先、黙ってアルバイトをしたことが
両親の目に入ることとなる。
父親は、その写真を見て一言、

「あれはお前ではない。
 お前に似たどこかのあばずれだ」

そう言った。
娘も家族も、その写真を「人違い」だと押し通すこととした。
この父親の同意は、母親に向けられることはあったが、
当事者である雪子に向けられることはなかった。

「敢然と無視されたのは あの記者と もう一人、あたしです。」
「あの写真がわたしでなかったら わたしはどこにもおりません。
 どこにもいない犬。
 ジロや 帰っておいで 私の肩に」

作品では、ユニセフに寄付をする青年への募金となっているけれど、
これは幼いころを、透明人間や操り人形として過ごした女の子が、
ホストクラブでシャンパンタワーを立てて、ちやほやとされる、
その快感から抜け出せないのと、変わらない。

お金を払って、ちやほやとされたい。
自分を売ってでも、真っ直ぐな愛情が欲しい。
お金でそれを買えるのならば…
だって、私は対価を支払わないと、そんな愛情や好意を
受け取る資格なんか、なののだから。

そんな叫び声が、聞こえてくる。

それほどに、透明人間として
人に認識されずに泣き、もがき苦しんだ人の
愛情への執着は強く、そして対価を伴うものだ。

結局、彼女はクラスメイトからも借金もして
週刊誌の記者が仕掛けた罠にハマり、置き引きという犯罪にも手を染めた。

必死にクラスメイトの陽差子が、手をさしのべ
あなたのお金はシャンペン代になっていると止めても…

お金がどうなろうが、誰に使われようが
雪子にとっては、どうでもいいことだ。

雪子が欲しいのは、真っ直ぐな愛情。
素直に発せられる笑顔。
それを、受け取るための当然の対価を支払っているに過ぎない。

実はこの作品を読んで、今はもういないバンド「fra-foa」の
『プラスチックルームと雨の庭』という曲を思い出した。

 


fra-foa - プラスチックルームと雨の庭 - YouTube

生きていることに ただ疲れて
何も見えなくなっている 自分が見えた
でも誰かの喜ぶ顔が見たい
僕が生きてる 価値を感じたい


雪子にかぎらず、大島弓子の作品には
こんな思いを抱えた女の子が、たくさんもがいている。
『ダイエット』の福ちゃんもそうだ。

結局、雪子の父は教育評論家の各顧問を辞職し、
市長選出馬も断念した。
雪子に言い渡されたバツは、父の知り合いのお寺で
3年間の修行を行う、島流しの刑。

最後まで、雪子を家族として扱う両親はどこにも見えない。
透明人間として扱い、
規則を破れば、防音室で説教をし、
最後に臭いものには蓋としろとばかりの島流し。

雪子不在で行われたクラスメイトとのクリスマスパーティー当日、
最初にお金を貸した陽差子はクリスマスパーティーから早々に帰ってしまう。

「天使の羽をもがれたから
 クリスマスソングは歌えない
 だけど 来年には新しい羽もはえてこよう
 来年でダメなら、さ来年、さ来年でダメならその次の年
 五年後でダメなら十年後
 やっぱりあたし
 クリスマスソング 歌いたい」

私には、今この世界で、天使の羽をもがれた人がたくさんいるように見える。
みんなが透明人間として、密かに泣き、密かに苦しみ、もがいているように感じる。
お金で買えるのなら…と体を売る女の子の気持ちがわかるなんて無責任なこと
根性なしの私には、とても言えないけれど。

私には、親の前で涙を流す勇気すらない。
それでも愛されたかったと、まるごと認めて欲しかったんだと、
心のどこかで、過去の母を思い出して、責め立てたこともある。
そんな自分の羽根なんか汚れているんだと、
いい子でいる対価を支払うことで、愛されていた自分の羽根は
偽物の羽なのだと、生えても飛べるわけがないと、
引きちぎってしまった過去がある。

きっと誰の背中にも、新しい天使の羽ははえてくる。
小さな小さな羽を、自分でもがないで。
これから翼になろうとする羽を、もう、自ら引きちぎり、捨てないで。
その羽根は、決して穢れてなんかいない。
汚れた羽根なんかじゃないんだ。

いつか一緒に、クリスマスソングを歌おう。

ロングロングケーキ (白泉社文庫)