『ダリアの帯 』 / 大島弓子 ~独りで忘れるために、狂うしかなかったんだ~

白泉社文庫『ダリアの帯』より
※ネタバレ注意

「彼女の名前は黃菜(きいな)
 奇いな名前でしょう?シャレです。
 3年前僕たちは結婚した
 黃菜は18歳でだったから
 双方の家から若すぎると反対された」

「しかし ふたりは 強引だった
 ゴーインマイ・ウェイ

若くして、両家の反対を押し切って強引に結婚した2人にも
長い付き合いを経て、祝福されて結婚した2人にも
結婚せずとも、お付き合いが長くなれば訪れる、倦怠期。

結婚3年目に訪れたのは、夫婦の倦怠期。
毎日の挨拶、毎日同じ繰り返し。
そんな中、夫の一郎が見つけたスリルは、同じ会社の雪子嬢とのプラトニックな浮気。

新たな楽しみに密かにワクワクする一郎を襲ったのは、黃菜のケガ。
自宅で階段から落ちた彼女は、ふたりとも気がついていなかったけれど
妊娠2ヶ月だった。
落下した衝撃で、お腹の子は還らない命に。

慌てて駆けつけた一郎に、黃菜はこう伝えた。

「あたし、知らなかったの いたなんて
 赤んぼうがいたなんて あたし、知らなかったの 
 あたし、知らなかったの」

ただそれだけを唱える黃菜。

 

 「だからさ、事故だったんだから仕方ないよ
 また産めばいいよ!」

励ますつもりだったが、この一言で黃菜はブチ切れ、
コップを投げつけた。

一郎は

「おれは黃菜が気の毒だと思って
 幾分不用意な発言ではあったけれども
 しかし なにもさあ」

一貫して、自分を守っている。
黃菜にとって

「仕方ない命」なんかなかった。
「自分の不注意で亡くした命の代わり」なんか存在しなかった。

これが、一郎には理解できないまま…

自分でも知らなかった新しい小さな命を失った黄菜は、
流産をキッカケに少しずつ、けれど着実に壊れていく。
まずは鬱、何もできなくなる。家事もできず、気力が失せる。
次に時間の感覚をなくす。
冷蔵庫の中身が腐るほど、開けたまま眺める。
極度の鬱状態から、徐々に被害妄想も増えてくる。
一郎のシャツに、「いちろうくんをとらないで」、と書いてみたり…
夫にはおおよそ理解不能な言動を繰り返す。

一郎は、徐々におかしくなる妻を真剣に見ることをしない。
何をしているのかと攻め立て、黃菜の奇行に辟易とし
雪子嬢へのあこがれを募らせる。

妻も知らなかったといえ、自分の子どもが流産した直後に
さらにその妻は少しずつおかしくなっているのに
彼はサラリーマンという仕事に逃げ、雪子嬢との浮気に専念。

黄菜の心は限界まで独りだったんだろう。
大恋愛をしたはずの彼は、自分しか愛せない人間だった。

そして実の母親にさえ、異常な攻撃性を向け見捨てられる。
黃菜の父は病弱で、5年前に死ぬまで母親が仕事をして養ってきた。
その想い出は、母に思うように甘えられず傷ついた黄菜にとって
「傷ついた日々の歴史」だ。
恐ろしいほどの細かさで、自分を無視した日、傷つけた日をまくし立てる。
小さな命が亡くなった理由を「仕方ない事故」ではなく「自分の意思」とするために
矛先を実の母に向け、憎しみの芽を探す。
彼女にとって、亡くなった命は「仕方ない」ものではなかったから。
だから明確な理由が必要だった。
どんなに後付で、理不尽な理由でも、「死ななければならない」理由。
「自分が殺さねばならなかった」理由を母に向ける。

「あの子は自分の顔が嫌いだというのです
 私に似ているから…
 黃菜が子どもを流産したのは 黃菜自身の意志だと」
「わたしからの血を もうつづけたくないからだっていうんです」

実の母親へ、
あの日に、あのときに甘えられなかった寂しさのすべてをぶちまけるかのように、
黄菜は母親に、その理不尽を叩きつける。

黄菜の母親は、再婚をすることを一郎に告げ、
黄菜とはもう会わないことを暗示させる。
再婚相手の連れ子は、黄菜より良くなついてくれる、と
あまりにも残酷な一言を残して…
夫に次いで母親も、黄菜から逃げた。

黄菜の悲しみに、ぽっかり空いた穴に、
誰も寄り添えない。
寄り添わない。

代わりのいない命を、ましてや自分の不注意で喪った黄菜は
忘れるために、狂っていく。
想いを分かち合える相手がいないから。
1人で背負うには重たすぎる記憶は、忘れなければ。
忘れきれないのなら、狂わなくては。

どんな妄想でもいい。逃げなくては。

このスパイラルはやがて、忘れるために狂うのか
狂うから忘れるのか、手段も目的も混同を起こす。

一郎はそれでも

「ぼくの人生は失敗した
 ぼくの結婚は失敗した」

一郎は自分しか愛せない。
黄菜のことより、自分の人生に執着する。

一郎の浮気を察したか、おかしくなろうとしたせいか、
黄菜は職場のそばで監視をし、ダリアの帯を探しにデパートへ行く。

「思い立ってダリアの帯を探したんだけど なかった」

「ニイナのお葬式のもふくでしめればよかったと思ってさ…」

 ニイナは、生まれてくるはずだった子どもの名前。
黄菜はその子はきっと女の子だったと名前もつけて、もふくを探しに遠くまで出かけたという。
翌日に黃菜は自宅の住所も忘れ、徘徊。
警察の電話で迎えにいき、帰宅した黃菜はこう告げる。

「一郎君、脳の病院へいこう」

黄菜から、最後のSOSが発信されたように感じた。

医師の診断では、先天性か後天性かわからないが
すべてを忘れてしまう可能性があると、一郎は指摘される。

通常では考えられない奇行の数々から、
一郎はとうとうストレスから胃炎を起こして入院。

黄菜は見舞いにくるものの、病室の人を1人ずつ世話をする。
どうやらそれは、黄菜なりの愛らしい。
一郎の両親は事実を知ってすっ飛んできた。
黄菜の、ここまでの奇行を知り、彼女を病院へ入れようとする。

ここから、黄菜は被害妄想から他人に対する異常な攻撃性も見せる。
入院させるのに、暴れて大変だった。と彼の母が伝えて離婚を切り出すシーン。

このセリフが被害妄想から攻撃性を得てしまう悲しい現実を物語る。
極度の鬱状態から、現実と妄想の境界を失った黄菜。
作者が病気を知っているとしか思えないくらい、生々しい。

黄菜の壊れたかった、壊したかった、その暴走。
本人は無自覚で無意識なのだろうけど、黄菜は破滅に向かって歩いて行く。

そうしないと、忘れられないんだと言わんばかりに…

一郎の親は黄菜を強制入院をさせ、合法的な離婚を可能にし、息子に離婚を進める。

早く新しい人生を歩めと。

それでも彼は離婚をしなかった。
離婚をしないどころか、胃炎で入院中に病院を抜け出して、黄菜を無理やり病室から奪った。
後日、ご家族が退院を望むならそんなことしなくても…と医師に窘められているけれど
彼は黄菜を自分の元に取り返すことで頭がいっぱいだったのだ。
ちなみに、現実の精神科病棟の窓は勝手に開けられることはない。
ましてや外部から人が勝手に入り込んで、患者と接触可能になることも、ほぼない。
この勝手に逃げ出せる非現実的なシーンがあることで、この物語のエグさはだいぶ軽減しているんだろう。
この緩和がなかったら、私は毒気にあたって病んでいたと思う。
そのくらいのリアルが詰め込んである。

一郎も、少しずつ壊れ始める。
壊れた人のそばにいること、壊れる人を模倣すると、
不思議なくらい、健やかな人も病んでいくのと同じように。

とうとう親との連絡も断ち、会社をやめ、2人で山の中で自給自足生活を送ることを決める。
被害妄想から、黄菜がたまにくる観光客に助けを求めて警察沙汰になっても離れない。

先に言うと、この物語のラストで、私は泣けなかった。
どちらかというと、うわぁ…と思ったクチで、
ラストで感動を覚えた方がいたら
私の感想はひどく、その方の感動や涙をぶち壊すだろう。

私に見える一郎の離婚をしない選択肢も含め全て、愛や恋ではなくて、
浮気をしていた彼の贖罪であり
懺悔であり、そして依存だから。
彼女が壊れた理由から逃れるために、ひたすら自分が壊れるのを待っている。
壊れてしまえば楽になる。
狂ってしまえば忘れられると言わんばかりの緩やかな自殺行為。
2人でいるなら地獄でもいいと言う、彼だけの逃避。

家事を何もしなくなったときに、おかしいと気づけなかった彼自身の懺悔と逃避。
病院に預ける勇気もなく、離婚して見捨てる覚悟も出来なかった、
そして黄菜に向き合うこともできなかった、わがままで自分勝手な男の末路。

彼は黄菜の毒気にあたって中毒になり、中毒がつらいから逃げる。
逃げるために狂う。狂うために逃げる。
黄菜も同じだけれど、
手段が先か目的が先か、おそらくこの状態の人間は判断すらつかない。
他者と物理的な距離も、精神的な距離も取って、一郎は彼なりに
2人だけの楽園に行こうとしている。

ただし、それは彼女と2人で望む楽園ではない。
黄菜は既に、現実と妄想の境界をなくした人。
天国と地獄の境界すら、なくしている人。
この状態で理想の共有はもうできない。

「脳の病院へ行こう」

このSOSを、彼は受け止められなかったのだから…

2人で望む楽園があるとしたら、
時間を巻き戻して階段から落ちなければあったはずの
ニイナと一郎と過ごした、穏やかな日々だけだ。

彼の目指す楽園は、彼のためでしかない。
さらに言えば、その楽園は2人でいる限り決して完結しない。
なぜなら、楽園の条件に罪悪感は不要だから。
楽園の条件に、不満や苦悩が不要だから。
彼は黄菜が生きる限り、その罪悪感から逃げられない。

どちらかが死んで、初めて訪れる楽園。
それが、一郎の理想の楽園の形。

でも、彼は残酷なまでに無自覚だ。
自分が黄菜のそばにいたい理由は、守るためだと思い込んでいる。
一緒にいたい、愛だと思い込んでいる。

この物語を読んでから、ずーっと抱えていた違和感。
それは一郎の中にある黄菜の存在。
浮気までして、黄菜は流産をキッカケに徐々におかしくなっていく中で
最悪の状態に陥るまで、一郎は黄菜に寄り添っていない。
寄り添っているように見えて、何かが違う。

ずっと、この違和感の理由はわからなかった。

これは自分勝手で利己的な愛情が望むハッピーエンドなんだと気がついたときに
私の中で違和感が消えた。

1人よがりの楽園は、彼だけのハッピーエンド。


実際、彼が黄菜の奇行を受け入れた平和な日々は、
一郎が自分だけ先に死んでから訪れた。

「この期に及んで気づきました。
 黄菜がひとりで話を交わしていたのは、草や木
 生まれなかった子ども、旅する風、霧のつぶ、雨のしずく
 有形無形森羅万象だったことを」

という言葉が、彼の楽園の合図。

私には言い訳が聞こえてくる。

彼女の奇行は自分のせいじゃない。
赤ちゃんが死んだのも、僕は知らなかった。
僕は悪くない。僕は寄り添ったんだ。許されるべきだ。
僕は何も悪くない。
僕のせいじゃない。僕は助けたかったんだ。
僕は愛していたんだ。だから、理解したんだ。

懺悔する機会を手放した人間の、
贖罪を履き違えた醜悪な言い訳。

過去は誰にも変えられない。
一郎が命と共に手放したのは、後ろめたい自分の想い。
理解できない黄菜の奇行。これらのすべて。

だから私には、一郎は死後、黄菜が話している場面さえ、
ただ一郎だけが死の間際に見続けた夢に思える。

大恋愛をした黄菜の想いは、彼女の世界は、
1人の人間の、贖罪の道具となり、勝手なハッピーエンドになりました。


そう言いたくなる、史上最強のバッドエンド。
でも描かれている物語の世界では、究極のハッピーエンド。
こんな恐ろしい少女漫画を、かわいいタッチでふんわりと描く。
まるでハッピーエンドみたいな顔をして、壊れた人間の末路を美しく描ききる。
狂気に満ちた作品だと思っている。

人はとても弱い生き物だから、壊れたくなることがある。
壊れた何かに憧れることがある。
甘い誘惑に流されて、友人、知人が壊れていく様を見たことがある人は、ハッとするだろう。

逃げ道は甘い誘惑。

自分を騙せば騙すほど、人の毒気は蜜の味
悲しいくらい流されて、息をするように自分にも、最愛の人にも嘘をつく。
もう自分が嘘をついたことすら、分からなくなるほど、毒される。
犯した罪から逃げることは、そんなに簡単なことじゃない。
犯した罪から逃げることは、そんなに生易しい道じゃない。
自分自身すら簡単に騙し切って、都合良く事実を改変して
だんだん独りになって、だんだんと嘘が分からなくなって
だんだんと、独りになる。
気がついたら、殺したことも忘れて、笑顔で死体を眺めている。

きっとその姿は、返り血を浴びて、どす黒い何かに成り果てた姿だろう。

 

ダリアの帯 (白泉社文庫)

ダリアの帯 (白泉社文庫)