『つるばら つるばら』/大島弓子 ~自ら迷わず歩む者だけに与えられるご褒美~

白泉社文庫『つるばらつるばら』より
※ネタバレ注意

「僕は夢と現実の区別がつかない子だった。」

夢の中に何度も出てくる家、石の階段、バラの垣根、木製のドア。
この家に、知っているけど知らないおじさんがおいでって言ってる。
夢のお家は現実にはないと言われても散歩をして探しに歩きまわることが好きだった。

「用事がなくても行けばいいんだ」

「ケッコンすんだ」

「将来はニューハーフかな…」

このお母さんのカンは大正解。

継雄は年齢とともに女の子になりたいと願うようになる。
そしてその頃、彼は、自分が他人とは違うことに気づく。

「ぼくは 無口になり
 つとめて男子らしく 演技した
 僕の趣味も 
 僕の生き方も
 誰にも知られてはならないと思った。」

継雄はこの頃、バスケ部の布田一成に片思いをしている。

「それは思春期によくあるところの
 あこがれのたぐいではない。
 ぼくは
 彼を抱きたい。彼と暮らしたい。彼を独占したい。
 そういう”好き”なのだ」

ただ、彼はもう現実と夢の区別がつかない子どもではなかった。

継雄は母の望む「継雄」として、必死に家の中で演技を続けていた。

大人の、親の望む、子どもであれ。

継雄は偶然、学校の靴箱の前で、片思いをしている布田の生徒手帳を拾う。
それは悪意やいたずらなんかじゃなく、布田が落とした生徒手帳だ。

しかし、その生徒手帳を持っているところをバスケ部員に見つかり、
毎日、彼を追いかけ回す理由と問い詰められた。

「好きなんだっ」

継雄が勇気を振り絞って伝えた一言は、ただの下品な男子高校生らしいネタとなり、
布田は拾ってもらった生徒手帳を、

学校のゴミ箱に、継雄の目の前で、捨てた。

高校生の、単なる悪ふざけや冷やかしであったとしても、
大好きな彼に、自分の触れたものを捨てられた彼にそんな言い訳は通用しない。
彼は、一度、人生の幕を自身の手でおろそうとガス自殺を企てる。

「幕だ 幕をおろそう
 人生の幕を」
「ぼくは汚い
 ぼくゴミ
 ダストシュートに捨てよう」

すんでのところで、父親が部屋のドアをぶち壊し
継雄は一命を取り留める。
そして、夢の中で「知っているけど、知らないおじさん」に呼ばれる。

「死ぬんじゃない 死んではいけない
 死ぬな たよ子」
「たよ子ってなに あなただれ?」

幼い頃から何度も見た、細い道、バラの垣根、四段の石段、木製のドアが夢の中でよみがえる。

継雄は知る、自分は「たよ子」の生まれ変わりだ。
あの家は、たよ子が生前に住んでいた家だと。

目を覚ました継雄に母親は、何でも話して、生きていなきゃ解決もできないと
みんなで解決をしようと話しかけた。
しかし、母が聞いた第一の問題は、継雄は、死んだたよ子の生まれ変わりだという話だった。

継雄の父は案外理解を見せていると想う。
同性愛だ、そのたよ子がなんだと発狂せんばかりの母を見事になだめ
継雄を責めることもしない。
そして両親が病室から帰った後、継雄はもう一度「あの人」の声を聞く。

「君のところに逝くまで
 おれは独りだ、ずっと独りでいるぞ」

継雄にとって生きる希望は、まだ生きている「たよ子の夫」に会うことだった。

「次の幕を上げよう
 死ぬもんか、次の幕だ!」

継雄はたよ子になりたいのだ。そして夫の元へ帰りたい。
次の幕は、学校のロッカーにウィッグやセーラー服が仕込んである。
しっかりとした苛めは続行中のスタートだが、
継雄にとって、たよ子の夫が待っているという事実と
自分はたよ子になりたいという、死ぬもんか!と決めた野望がある。
女装をしてみたら、ずいぶん似合ってしまって、女子からは人気があったようだ。

この自殺を期に、継雄は嘘を着くことをやめた。
そしてなんでも、両親に話した。
この両親が、「なんでも真実を話して欲しい」と言えたことで
継雄は、ずいぶん、救われたんじゃないかと想う。

人にウソを付くことはその善悪を問わず、とても疲れる。
そして家族を傷つけないためのウソは、自分を傷つけて吐き出すウソになる。
自分の生傷をを封じ込めてつくウソは、誰にも気づかれることがない。
幸せを演じ、人をだますことは簡単だから、壊れるまで誰もウソだと信じてくれない。

都合の悪い事実より、都合のいいウソのほうが
会社でも家族でも、誰かと付き合うときには、相手にとって幸せなのだ。

高校で下校の時間をぬっては、まだあの家を探し続ける継雄に
女の子のお友達ができた。
路地裏を歩くことが趣味の、蟹沢さんという子。
両親は過剰な期待をし、過剰な接待をもするが、継雄の恋愛対象は
男性のままである。

この時代、トランスジェンダーは何らかの心の病気だと捉えられていたんだろう。
今も、そんなふうに捉える人がいないわけではないと想う。

単に、生まれてきた身体と心が、継雄は別々の性別だっただけなのに…
その理解のなさと寂しさからか
(といえ、田舎の両親にトランスジェンダーを理解しろというのも、難しいのかもしれないが)
継雄は、売春をする。もちろん、男性に。

偶然見かけた父親は、その場で総天然色の白髪になり、

「いわんでよろしいっ!
 言うなっ!口がさけてもっ」

とこの作品では唯一と言っていいほど、声を荒げた。
これは、継雄の恋愛対象は別として、
本当は継雄自身も、相手はたよ子の旦那でないこともわかった上で
寂しさから、身体を売った息子が許せず、そしてショックだったのだろう。

父親は不器用だけれど、継雄をちゃんと見つめていると想う。

継雄は東京の大学を卒業し、初めて同性の友人を作ることができる生活に
感激しっぱなしである。

自分が触った生徒手帳をゴミ箱に捨てられた彼にとって、初めての友達の暖かさは
どんなものだったんだろうか…
オカマだと色物で見られることもなく、自分を
一人の「継雄」という友人として接してくれたときの彼は
最高に幸せだったのかもしれない。

いじめられっ子は、自分に近づいてくる人間は
自分をからかうか、傷つけるか、何らかの道具にするつもりだと刷り込まれる。
そんなことはないと言われても、その経験しか持っていないからだ。
いじめられっ子が、大人になってもいじめの標的になりやすいのは
悲しい経験で得た警戒心や、自衛本能が、
そんなつもりのない人の心を傷つけるせいだろう。

結局、大学で好きになった彼には想いを伝えることをしなかった継雄は
卒業後、銀座の有名なゲイバーで働くことにする。
彼の生きる希望は、四段の石段、バラの垣根、木製のドア…そこに住む、
たよ子の旦那に再会することだから、情報をお客さんから集められ、
昼間には散歩もできる、夜の仕事を選んだのだ。

夢で、たよ子の顔が見れたと、バイト代は全部、整形代に消えていた。

久しぶりに帰郷した継雄は、そこで
自分は、故郷に帰ってはいけない人間なのだと知った。
年々、年老いる父、パトロンもいないでどうやって生きていくのと
大輪のバラのママに叱咤される日々…

「そうね、のたれ死ぬわ」

明るく答えているが、年月が過ぎ、継雄の体力も衰え始めていた。
入院になる前に、もうふらふらの身体で街を彷徨う継雄。

「のたれ死にか そう遠い未来のことではないかも
 たよ子か・・・
 たよ子っていったいぼくのなんだったんだろう
 昔、母が言ったように
 これはぼくの作った、ぼく自身の杖だったのかもしれない」

「垣根のバラ、石階段、木製ドア、愛を誓う夫…
 こうゆうものに、ぼくはであっていたかもしれない。
 あいつがそうだ。
 あいつがそうだ。
 あいつも、
 あいつも、
 あいつ達も、あれもこれも」

自分の人生を振り返ると、継雄にはたくさんの木製のドアやバラの垣根、石段があった。
彼の人生を彩った、一瞬の想い出。
物語は、のたれ死にに最適な家を探していたところで、本当のたよ子の夫に出会う
ハッピーエンドで終わる。

継雄の「たよ子になるんだ」という夢は、いつか生きる杖になり、生きるための理由になった。
このハッピーエンドは偶然なんかじゃない。

「絶対に、目指すものになるんだ」と志を持ち、その道がたとえ修羅の道でも
奥せず進んだものだけが手にできる、ハッピーエンドだ。
のたれ死ぬことも覚悟で生き抜いた、継雄になったたよ子と、
その愛する妻の再来を待ち続けた夫が、勝ち取った幸せだ。

死を覚悟しても突き進める者だけに与えられる、神様からのご褒美だろう。

私はきっと、生きる杖が必要なほど、強い執念を持って生きたことがない。
修羅の道を、突き進む勇気もない。
だから、その道を行ける人の応援を、ずっとしたいなと想う。

もしも強い意志で、生きる杖をついて、生きる人が疲れたと言うならば

ワッフルとはちみつティーを差し入れしよう。

 

 

つるばらつるばら (白泉社文庫)

つるばらつるばら (白泉社文庫)