『ダイエット』/大島弓子  ~何者かになろうとするあなたへ~

白泉社文庫『つるばら つるばら』より。
※ネタバレ注意

主人公・標縄(しめなわ)福子は太っている。

「その理由はかんたん ものすごく 食べるからなの」

福子の「ものすごく食べる理由」は、過去の想い出を掘り返して、また埋める作業だ。

掘り返す想い出は

父が愛人を作って家出をした日
すぐに母が新しい父と再婚した日
新しい父に慣れない日々
父に似てきた自分を見て愚痴をこぼす大人…

彼女の幼少期の、愛されたくても叶わなかった想い出。
彼女はそれを、食べることで思い出し、掘り返し、顎が疲れきる頃、

ニルヴァーナの世界に行ける」と言う。

ニルヴァーナサンスクリット語仏教用語、意味は「最高の喜び」「安楽の世界」など。*1
咀嚼に疲れて、考えることを放棄できたとき、彼女には「永遠の平和」が訪れる。
愛されたかった欲を、食欲で満たし、彼女は生きていた。

その親友・黒豆数子(通称カズノコ)と親友で、

カズノコが角松くんに片思いをしたをきっかけに、ダイエットに挑戦する。

最初はカズノコの恋を応援するために、恋のキューピッドに勝手になった福子は

「痩せたら、ご褒美に一緒にデートさせて欲しい」とカズノコに頼む。
最初は不審に思うカズノコだけれど、親友の福子の願いを受け入れた。
福子はダイエットに励む。
それは、1日にりんご3つだけ、お風呂は何時間も漬かってたっぷり汗をかいて、
授業中はつま先で、サウナスーツでランニング。
どれも絶対にマネをしてはいけないダイエット法を実践しながら、福子は言う。

「もうすぐニンフになるから。背景にとけこむくらい細いニンフになるから。」

もしも自分が美しかったら、太っていなかったら、
自分は愛されたんじゃないか?と福子は思ったのかもしれない。
自分が愛される条件を、必死に探し、求める福子のダイエットがサラリと描かれている。

福子が痩せた頃、福子の母は娘を憎悪した。
痩せさせることを放棄した母親は

「私を捨てて、出て行った夫にそっくりだ」と…

彼女を見たくないと、憎悪した。
それくらい、福子は、愛されることに慣れていない。
それは作中、カズノコの彼が福子に優しく(というか、当然の気遣いを)するだけで
舞い上がってしまうほど。
その快感から、彼女は摂食障害を悪化させてしまう。
食べ始めたら止まらない、終わることのない食欲と戦い、
食べ終わると嫌でも胃が拒否して、嘔吐してしまう。
「THE 摂食障害」。
絵がファンタジックなのであまり悲壮感はないかもしれないが、状況から見ると
即病院での治療が必要なほどに、摂食障害を悪化させている。

福子にとって、愛されたい欲を埋めるための食事。
満腹は、飢餓状態の心をごまかす手段でしかない。
彼女の場合は、摂食障害だけれど、
この飢餓を埋めるために、あるいは考えを放棄するために、
薬を飲んでみたり、お酒を飲んでみたり、この方法は、人の苦しみの数ほどある。

痩せた福子は、カズノコの彼氏、角松くんの優しさを疑う。
幼いころ、無条件に愛されたことのない人の特徴だ。
いい子じゃなかったら愛されないと、親の望む子供でなくては愛されないと、
条件付きでしか愛されないと思って育つ人は

自分が無条件に、肯定されるなんてありえない。

そんな風に思い込む。
福子も同じように

「私が太っていたら、軽蔑して優しくなんかしないんじゃないか」

と角松くんに疑いを向ける。
カズノコの、デートは2人でしたい…そんな感情には無関心に。
そしてまた、太る。
ダイエットの反動もあって、食欲は止まらない。

「手が勝手に食べ物に伸びて
 口が勝手にのみこむのよ
 まるでロボットかモンスターみたいに
 頭ではもうやめる、もうやめると言っているのに」

太った福子にも、角松くんは変わらなかった。
母は、福子を責めた。
それは、友達のBFに送ってもらっておいて、どういうつもりかと
いつか自分が、愛する人を奪われた経験からくる憎悪だった。

そんな折、偶然にも福子は実の父を見かける。
新しい奥さんとのかわいい娘を連れた父を見て、福子は電話をした。
自分と母を捨てた父と、福子は再会する。
ギクシャクとした時間を過ごし、こう結ぶ。

「やはり過去の幸福追求はむずかしいものがあった」

ここで、父に愛されたかった娘の勇気は、粉々に砕けたのだと思う。
自分を無条件に肯定してくれる親はいない…と、山手線をたっぷり廻っている。

その頃、自分に自信をなくしたカズノコは、角松くんと2人で福子を会わせる。
カズノコは、福子も角松くんに恋をしていると思っているから。
しかし角松くんは福子と2人で会ったときの福子の言動に、違和感を覚えていた。

「確かにオレは彼女に嫌われていないとは思うけど、
 恋みたいにすかれているとは思えないよ。
 それよりも、君がこないことをがっかりした様子で…
 おれ、むしろ福ちゃんは君のほうが好きなんじゃないかって
 そんな気がしたな。
 その…友達としてすきなんじゃなく、それ以上の何かを感じたんだ」

「それ以上の何か」
それは福子の、無条件に肯定してくれる相手がカズノコだという信頼だ。
本当は与えられるべき愛情を、カズノコに求めていた。

本来、与えられるべき愛情を与えられていない人間は
人間を疑い、肯定されるとわかると依存に近い甘え方をする。
恋人に必要以上に肩入れしてしまったり、嫉妬したり、
友情に依存してしまったり、わがままになったり…
そして敬遠され、また無償の愛情を探し、疑って、一人で苦しむ人は
そんなに少ない数ではないと思う。

自分で欲しがって、自分で壊してしまう。
大好きなのに、大切なのに、
大切にしすぎて、壊してしまう。
身に覚えのある人はいるんじゃないかな。

でも、カズノコは違った。
重なる過食嘔吐で、胃が食べ物を拒否し、拒食症に陥った彼女を病院へ送り
手作りのクッキーを渡す。

「食事療法があるだろうけど、ちびちび食べればバレないよ」と。
そして、角松くんにこう切り出す。

「あの子、私達の子どもなのよ。」
「5歳児くらいで、その辺をウロウロしているの。」
「その上、飢餓状態なの。ハートがね」

角松くんの感じた違和感は、間違いなく、福子の飢餓状態のハートだ。
カズノコに求める、無償の愛。
親からはもらうことができなかった、
過去の父に再開しても追求することは叶わなかった、
無条件に愛され、無条件に認められたい、福子のココロの叫びだったと思う。

その入院の夜、福子は禁止されているはずのクッキーを一口食べてみた。

「ココアの香りと甘い味がした。
 私はそのときはじめて、食べ物を「美味しい」と思った」

今まで、愛情の飢餓を満たす代替でしかなかった、食べる行為。
食べることは味や美味しさではなかった彼女にとって、幸せなご飯はなかったんだろう。
カズノコの無償の愛情がこもったクッキーは
「美味しい」と、食欲で得る本当の喜びを、福子に教えた。

カズノコは「私は育てる」と福子のそばを離れることはしない。
しかし、このセリフを福子は知らない。

愛される子供を演じて過ごした大人は、演じることに慣れすぎる。
認められる条件付きの愛情だと思って育った大人は、自分に愛される条件を化す。
無条件で肯定され、愛されると、恐怖を覚える。

それは、とても生きにくい。

疑うなとは、思わない。
演じるのをやめようなんて、そんなことも思えない。
私もきっと、ずっと疑って、依存しかけて、自制して、
自分が自分に化した条件の中で、もがいてる。
誰にも怒られないのに、自分に化した条件は、破れない。

でもいつか、初めてこの人生を美味しいと思える日がくることを願うことは
絶対に辞めないと決めてるんだ。

 

つるばらつるばら (白泉社文庫)

つるばらつるばら (白泉社文庫)

 

 

*1:
> 仏教では究極的目標である永遠の平和,最高の喜び,安楽の世界を意味する。本来は風が炎を吹消すことを意味し,自己中心的な欲望である煩悩や執着の炎を滅した状態をさす。このような状態は「涅槃寂静」と呼ばれて初期仏教の根本的教えの一つであったが,人が生命または肉体をもつかぎり完全な涅槃の状態は達成されないとして,これを「有余 (依) 涅槃」とし,死後に実現される完全な状態を「無余 (依) 涅槃」と呼び,釈尊の死を涅槃に入るというようになった。
> コトバンクより

涅槃(ねはん)とは - コトバンク